【百済】 近肖古(クンチョゴ)王という有力な王が現れたことで急速に成長しており、高句麗の勢力圏にほぼ匹敵するまでになっていました。そして後燕同様、高句麗に圧力をかけていたのです。


広開土王(クァンゲドワン)は名前を談徳(タムドク)といいました。彼は374年、小獣林(ソスリム)王の治世に故国壌王(コグギャンワン)の息子として生まれました。「広開土王」とは没後の略称で、
生前は永楽(ヨンナク)大王と呼ばれていました。

貴族たちは13才で太子になった談徳に期待をかけていました。


談徳のおじさん、小獣林(ソスリム)故国原(コググォン)王の戦死で悲痛なムードになっていた高句麗を建て直すために大々的な改革をしました。国立大学である太学(テハク)を開設して有能な官吏の育成に努めたり、律令頒布で法秩序を確立したり、仏教を公認することで民心の集束に努めたのです。この時、開設された太学が朝鮮半島における大学の始まりだといわれています。

ちょこっと豆知識~『大学』


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談徳(タムドク)11才の時小獣林(ソスリム)王に子がなかったため弟の故国壌(コグギャン)王(談徳の父)があとを継ぎました。
この故国壌王の時代に、高句麗は苦境にたたされていました

談徳が生まれる前の世の中

【中国】 北部と南部に別々の政権が並び立ち、その北部の中でもたくさんの国に分かれていました。
その中の一つに後燕(コウエン)があります。談徳のおじいさんの故国原(コググォン)王の時に高句麗(コグリョ)を攻め、美川(ミチョン)王の墓をあばき王母を捕らえた前燕(ゼンエン)がいったん滅んだ後、再建された国です。高い文化と強力な兵力を持ち、高句麗に圧力をかけていました。

英雄 広開土大王(談徳)

故国壌王は負け戦を繰り返していました。

朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の3つの国に分かれ、互いに勢力を競い合った三国時代でした
高句麗は、王が国を直接治めるなど王の権限を強化し、強力な指導者のもとで外部勢力の侵略を防ぎ、国力を養っていきました。
力を蓄えた高句麗は、小獣林王(ソスリムワン)の時代、仏教を受け入れ、学校を建て、新しい法律を作り、国として整備されていきました。

2007年12月3日から、この広開土大王(クァンゲドデワン)の一代記が韓国大河ドラマとしてテレビで放送されます。主演は「冬のソナタ」のペ・ヨンジュンさんです。
この談徳(タムドク)という王さまはとにかく強い!味方には百万の兵にも勝る頼もしさを、敵には百万の兵を迎えるような恐怖感を与えたそうです。
また強いだけでなく、武人としての知略と情けをもち、民のことをなによりも想う、頼もしい指導者だったのです。朝鮮半島では知らない人がいないくらい、民族の英雄として長く慕われています。




ちょこっと豆知識~『テレビで放送』