前漢王朝の中国勢力(玄菟郡など)と高句麗とは敵対関係にありましたが、共倒れにならないよう、高句麗の君主は前漢朝の臣下になることによって中国勢力と共存していこうと考えました。それで、高句麗から前漢朝への朝貢がなされました。そして前漢の皇帝は高句麗の君主に、中国の皇族の親族と同列に扱う「高句麗王」の称号を授けたのです。
ところが、紀元8年に
この後、25年に
高句麗の大武神王の息子、好童王子は狩りに出かけ、楽浪のお姫さまと出会いました。
ふたりは、すぐにお互いが一目ぼれし、結婚の約束を交わしました。
当時楽浪には、外敵が侵入してくると、ひとりでに鳴り出す
『
楽浪のお姫さまは一睡もできずに
悩みました
悩みぬいた結果、お姫さまは自鳴鼓の皮を引き裂いたのです。それは、祖国と父親を裏切ることでした。
話は3つの建国神話より少し前に戻ります。
四郡』を置いて朝鮮半島を支配しましたが、高句麗族は
古朝鮮の領地をとりかえすべく漢の四郡を攻め続けました。
そして、紀元前82年に
紀元後32年、高句麗の3代目王「
ちょこっと豆知識~『高句麗の屈辱』
中国 漢の支配を退け古朝鮮の領地を取り戻すのは高句麗王の悲願でした。
『あの太鼓をなんとかしなければ…』と
そんな父王の想いを知った
『あの自鳴鼓の皮を破いてくれないか』
その夜、高句麗軍は一気に楽浪に攻め入りました。皮を引き裂かれた自鳴鼓はなりませんでした。高句麗軍は
楽浪の一部を占領することに成功したのです。お姫さまの裏切りを知った楽浪の王は、激怒のあまり最愛の娘を斬り
殺してしまいました。
これ以後、中国人の勢力と高句麗族とは、領地をめぐって激しいせめぎあいを続けます。そして、その争いのなか
から高句麗族を束ねる高句麗王家が誕生します。ですが、中国勢力を退けることを最大の使命とするリーダー(高句麗王)が誕生しても、