青銅器時代になると、同じ血統の者同士が集団で生活するようになりました。そしてその有力者は
青銅で作った武器で、周辺の他集団を征服して領土を広げ、力をつけていきました。
こうしてできた国家を部族国家、又は村落国家といいます。これらの国を治める王は、自分を天の神の子孫だと信じていました。


     
※中国の皇帝は「天の神から統治を任せられた(天命を受けた)者」ですが、
      朝鮮の王は「天の神の子孫」だとされていました。

青銅器文化の発展に力を得て、最初にできた国が古朝鮮で、これが韓民族の起源です。
檀君王倹(ダングンワンゴム)はその最初の王です。

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朝鮮の王は「天の神の子孫」!

昔、天帝(天地・万物を支配する神)、桓因(ファンイン)の子に桓雄(ファヌン)という神がいました。桓因は人間たちに救いの手をさしのべようと、桓雄に天符印(チョンプイン)
三個(三種の神器のようなもの)を授けて天降りさせ、人間界を治めてみよと命じました。
桓雄は風と雲と雨をそれぞれ治める臣下と3000人の供を率いて、太伯山(テペクサン)
山頂にある神壇樹(シンダンス)という神木に天降り、その地を神市(シンシ)と名づけました。

檀君神話

 ※韓国の人たちは今も「檀君ハラボジ(おじいさん)」と親しくよび、『有史以来』といった言葉も『檀君以来』と言ったりするのだそうです。
 そして10月3日の開天節(ケチョンジョ)[日本でいう建国記念日]には檀君の朝鮮建国を記念し、天に感謝するのだそうです。そんな檀君の理念であった  『弘益人間』の精神は、昔も今もずっと韓民族の人たちに受け継がれているということです。
紀元前2333年、檀君王倹は阿斯達(アサダル)[今の北朝鮮の首都、平壌(ピョンヤン)]に首都を定め、朝鮮(チュシン)という国を建てました。これが古朝鮮(コチュシン)です。
檀君王倹は1500年の間、「自分の利益だけを追求することなく、自分と違う価値観を認め、他人にも利益をもたらし、共存する精神」という「弘益人間(ホンイクインガン)理念」のもと、周辺部族の統合を推し進めて国を治めました。
その後、中国の(シュウ)王朝の武王(ブオウ)が、(イン)王朝の王族である箕子(キジャ)に朝鮮を治めさせたので檀君は阿斯達山に入り、山神(サンシン)になりました。その時、檀君王倹は1908才だったそうです。
その時、同じ洞窟の中に1匹の熊と虎が住んでいて、桓雄に願い事があると申し出ました。「私たちをどうか人間の姿にしてほしいのです」。桓雄はヨモギ1把とニンニク20個を与えて「これを食べながら100日間日光をさけて洞窟にこもりなさい」と告げました。
その日から21日目に熊は女の姿になりましたが、虎は我慢しきれずに途中で洞窟から飛び出してしまったので人間にはなれませんでした。
女の姿になった
熊女(ウンニョ)と桓雄は結婚して、熊女は男の子を産みました。この男の子が漢民族の始祖「檀君王倹(ダングンワンゴム)」です。